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〜 随 筆 〜


アフリカでの経験 

出典:くだかけ(1996年度)より


私が家族を伴いアフリカに渡ったのは、今から16年前も前のことです。
米国コロラド州立大学での研究生活を終え、帰国後すぐに外務省に入省しました。外務省に出張した初日、係官からリオデジャネイロ(ブラジル)、メキシコ、ケニアのどちらに赴任しますかと問われ、内科と感染症を学んだ私としては、その知識を役立てようと思い、迷うことなくケニアを選んだのです。自宅へ帰る電車の中で家族のことが心配になりました。 「暗黒大陸」という悪いイメージがあり、果たして妻は、娘たちは、反対しないだろうかと、速答した自分を反省したものです。しかし、家族とはありがたいもので、私の顔をまじまじとながめ、「この間まで、アメリカにいたし、アメリカとアフリカは一字しかちがわないんだもんね。」と言ってくれたのです。その一語で、私の人生はアフリカにみちびかれたのでした。

私たちは英国航空で日本を離れ、ケニアの首都ナイロビにむかいました。セイセルズ島で給油し、アフリカ大陸に近づくにつれ飛行機はゆれにゆれ、濃霧のため近くの港町のモンバサ空港に緊急着陸するというハプニングがありました。モンバサでミニバスを借り、サバンナの大平原をのんびりと移動し、目的地のナイロビに着いたのは夜でした。なにもかも物珍しい風景、目がキラキラ輝く陽気なアフリカ人。「ジャンボ」と声をかけてくれました。スワヒリ語で「こんにちわ」という意味です。

ケニアは、日本の1.6倍の広さがあります。しばらく、ホテルで不自由な生活を送ったあと、庭付きの借家に移り、メイド、運転手、庭師、警備員、それに5匹の犬たちとの素敵な生活がはじまりました。ここまでは平均的医務官としての話です。

私の守備範囲は広く、東アフリカ全域を担当しました。エチオピア、タンザニア、セイセルズ、マラウイ、ウガンダ、ザンビア、マダガスカル、南アフリカ共和国、のちに独立したジンバブエを定期的に巡回する仕事があり、1年のうち5分の3はケニアを離れる仕事です。
1年目がすぎた頃、アフリカのかかえる貧困、それに伴う医療水準の低さ、医療設備の不備、医薬品不足、難民問題などが私の胸を痛めるようになり、その実情を毎週報告書にまとめて定例会議に提出したものです。
その努力が実ったのでしょう、大使も難民問題には積極的な姿勢をしめしはじめ、ついに私の希望がかなえられ、ケニア周辺の難民実情調査命令が下ったのです。

現地新聞によると、ケニア・ウガンダの国境にポコト族が、ケニア・エチオピア国境にトルカナ族の難民がいて、栄養失調と感染症のため民族の存亡の危機にあるという。
私は、仲良しの現地アフリカ人(キユク族)と 領事部の係官2人を伴い、手初めにポコト族の調査に出ました。
4日分の食料となにがしかの医薬品をつみ、トヨタのランドクルーザーでナイロビを出発ゲリラの出没する危険地域では日の丸の旗と赤十字の旗をたて、その効果のほど、つまり、日の丸の旗のことをアフリカ人は知っているのかしら、、、。格好の射撃の標的にされてしまうのでは、、、、と疑いながらすすんだものです。
次第に道なき道に入り、水が乾いて砂道になっている河を走り、ポコト族の難民地域に入りました。

飢えとは、こんなものか。痩せ細った人々、うつろな目、水でふくらんだ(腹水)子供の腹、、、、ショックでした。なにから手をつけて良いものやら、、、しばらくぼう然としていると難民のむこうに赤十字の旗があり、近づくとオランダ人の医師と看護婦が汗まみれになって診療をおこなっていました。私も自然とその中に入り、医療奉仕をし、気がついた時は夜。クタクタになって大地にねころぶと、ダイヤモンドのように光る星が手でとれる距離にかがやいていました。なんと美しい空、それにくらべてなんと悲惨な人々。その後、トルカナ族の調査には小型セスナ機をチャーターし、5〜6回現地に向かいました。難民の悲惨さはポコト族よりひどく、救助の手はただ一つ、イギリスの宗教団体が診療所を建てていて、そこが診療の場、兼、「墓場」になっていました。

私は、この実情を何も知らない平和な日本のテレビ局に流すと同時に、日本から看護婦を派遣してもらったり、民間から多量の医薬品を送ってもらうことに成功しました。これが私のボランティア活動のはじまりです。
この経験を通じ、「善意の人々がたくさんいること。人種の壁、国境を超えてボランティア活動が出来ること」を知ったのです。

ここ山北町に開業して10年目になります。「一人の平凡な医師、でも本気に取り組めば、国境をこえたボランティアが出来る」という貴重な体験を心の支えにし、今も診療のかたわら、少しずつですがボランティア活動を続けております。


代表医:大利 昌久


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