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〜 随 筆 〜
エネルギッシュに旅をする
出典:日本医師会雑誌(1997年度) より
「蚊取り線香」と「クロロキンの錠剤」を準備するのが、私の「旅支度」である。 マラリアから自分の身を守るためだ。東京大学医学研究所で熱帯病専門医の資格を得たことで、熱帯病の 宝庫ケニアに1979年4月、「外務省医務官」として赴任したのが私の旅のはじまりである。
赴任して2ケ月。タンザニア日本国大使館より至急電が入った。 「日本人獣医がマラリアに肝炎及び賢炎を併発。黄疸症状も見られ、現在意識不明。 大利医務官の派遣、診療の御手配願いたい。」--------- 私はこの電文を、ザンビアとエチオピアの出張を終え、ケニアのジョモケニヤッタ国際空港に 降り立つタラップで受け取った。慌ただしい電信官の話。それに電文の内容から 「極めて重症」で「熱帯熱マラリア」の感染が疑われた。 すぐに次の便でタンザニアに発たねばならない。
しかし、ケニアとタンザニアは隣国でありながら国交断絶の状態にあり、 直行便がないうえに第3国経由でしかタンザニアには入れないのである。 それでは間に合わない。特別便をチャーターし出発の直前、「死亡」という 追電を受けた。ショックだった。手元にそろえたクロロキンの注射液が、むなしく私の胸を打った。
熱帯病マラリアによる悪性症状で、「全く無駄な死」といわねばならない。 その後、相次いで3人の青年がマラリアで死亡した。 「マラリアを知らない日本人が来ている。」------これはもう立派な事件である。
私は早速、犠牲者のでたタンザニア、マラウイ、南アフリカ共和国を皮切りに、 マラリアの発病状況の調査、在留邦人に対しマラリアに関する教育を行った。 仕事は次第に膨張し、東・南アフリカばかりでなく、西・北アフリカにも及んだ。 なかでもマラウイ、タンザニア、ナイジェリア、ガーナ、リベリアでの 日本人の発病状況は深刻なものだった。私は外務省を通じ、日本のマラリア専門家に 国内での教育を強化するよう要請した。
その他、アフリカ諸国からの緊急脱出のため、ヨーロッパへの緊急医療の発展も行い、 頻繁にイギリス、フランスに渡った。 また、当時外電が報じていたケニア周辺諸国の悲惨な難民の実情をテレビで日本に伝える仕事もした。
当然のことながら、楽しい旅も多い。カバスの女を見に行ったり、ビクトリア湖の滝しぶきで 眼鏡をだめにしたり、ナイル川沿いの巨大な神殿に圧倒されたり、 雄象に追いかけられたり、テーブルマウンテンで昼寝をしたり、 南アフリカの黒人専門地区に潜入したり、アフリカのブルートレインに乗ったり、想い出すと きりがない。
帰国後もアフリカ、中近東を中心に出張。 最近では、ボルネオ、スマトラなどアジアの調査も増えた。 普段は日本の厳しい医療制度にあえぎながら、診療に忙殺される開業の身。 だからこそ危険な海外出張とはいえ、私には楽しい旅であり、籠から逃げ出す小鳥のように エネルギッシュなのである。
代表医:大利 昌久
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